スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

日本を教育した人々、読了

日本を教育した人々 (ちくま新書 691)日本を教育した人々 (ちくま新書 691)
(2007/11)
齋藤 孝

商品詳細を見る

 16日朝読了。吉田松陰、福沢諭吉、夏目漱石、司馬遼太郎の4人の日本人を取り上げ、日本人の学ぶ意欲に火をつけ、向上心を燃えさせた「教育者」としての意義を再検討する書。かなり元気が出たし、読書欲に火をつけられた。特に福沢諭吉と司馬遼太郎関係の本を再読したくなった。さすが齋藤先生。
 特に、志(こころざし)について言及している部分には感銘し線を引きまくってしまった。人事院の研修で話を伺って感銘した上甲晃先生(志ネットワーク)のことを思い出した。

P67
日本語能力が大きく低下しているという現実があるのに、幼児期から英語を学習させようとする傾向には違和感を覚える。


 御意。私も、中学生からのNHKラジオ講座を中心とした英語学習から始めれば十分だと思う。それまでは日本語に親しむべきじゃないか。

P68
 現実問題として、東大法学部の現状を見ると、私たちの頃は外資系に勤める人間は一割以下だったと思う。ほとんどは日本企業に勤めたり、官僚になった。しかしいまは、優秀な学生ほど外資系に行く。それは一人あたりの年俸が高いからだ。そこに志はあるのだろうか。


 一概に外資系に就職する人が愛国的志がないとは思わないが、本当に優秀な層がそちらにばかり行っていいのか?そういう疑問は日々感じる。

P89
 怨望は人間交際にもっとも害がある。なぜならそのために人間本来の働きが窮してしまい、妨げられてしまうからである。自分がやりたいことができないから、人を羨むことになる。自分の本当にやりたいことをきちっとやって、人を羨む気持ちの根元を絶つことも、また独立の目的である。
 自分自身が独立しており、自分の考えで動いていて、「自分がこれを選択したのだ」と自分に責任を持てれば、人を羨まなくなる。
(略)
 独立しているというのは、まさに「私立」の生き方である。要するに自分の力で自分を賄っているという、独立した地盤を持つ生き方だ。


 これには強く同意する。私が目指していたインディーズ系ドクターの生き方はまさに「私立」の生き方。役所勤めをしていても地位にしがみつくことなく常に辞められる気概、地盤を持つべきだと思っている。

P92
(略)人を束縛して心配するより、個々人が独立して、苦楽をともにする。そういう友情関係や人との付き合い方のほうが、むしろ望ましいと言っているのだ。


 まさに君子の交わりは淡きこと水の如し、ですな。私の好きな言葉ですが。

P98
■学ぶことが幸せだった時代に立ち返れ
 諭吉がいた時代と比べて、現代の日本は学ぶ意欲が足りないのではないかという気がする。学問を積むことがいかに大切なことかを、みんなが忘れている。


 学ぶことそれ自体が目的となりうる。

P99
 しかしいまの時代は、学問を積んだ人間は机上の空論の世界で生きているようで信用できないとみなされ、それより実社会で成功した人間を尊重する風潮が強い。政治の世界においても、門閥制度のように世襲に世襲を重ねた人間が政治家になり、リーダーになる時代である。


 安倍さんを引き合いに出すまでもなく政界は世襲政治家だらけだ。こんな政治でいいのだろうか?

P100
 学問がこれほど馬鹿にされている状況のなかで、日本は危機に陥っていると私は思う。
 第二次世界大戦に出征して亡くなった学徒兵たちの手記を集めた『きけわだつみのこえ』を読んでも、死ぬ間際の若い人たちが、もう一度きちんと本を読み、学問をやりたかったと、率直で痛ましい告白をしている。いまの若者がそんなことを言うだろうか。かって学問は、それほどの幸福感を人々に与えていたわけである。
 そして学問は自分一人のためではない。勉強してみんなのために尽くすのだ、という気持ちが当たり前だった。ついこのあいだまで、それは続いていた。
 いまは官僚といえば、「抵抗勢力」の象徴とか私利私欲を求めるズル賢い人たちの集団だと思われがちだが、もちろんかつてはそうではなかった。以前は、使命感に支えられた厳しい自己規律のもとに、利害が錯綜する国家経営を忍耐強くしかも聡明にやりとげようとする、相対的には世界で最も優秀な集団だと言われていた。彼らは事実、資本主義国でありながら弱者や少数者にも目配りを怠らない、いわば資本主義的社会主義国家をつくってきたのだ。


 『きけわだつみのこえ』は涙なくしては読めなかった。城山三郎の『指揮官たちの特攻―幸福は花びらのごとく』も読みたい。

P101
 しかしいつの時代からか、リーダーに学問は必ずしも必要ではなくなってしまった。それは日本人が直面する大きな不幸である。なぜなら学問をおさめようとする向学心は、幸福につながるからである。
 人間は、ひとつでも多く知識を得たい、あるいは一歩でも先に進みたいという気持ちになっているときは、気持ちが盛り上がっているので幸福感を得やすい。一番楽しいときとは、何かをやり遂げてしまったときではなく、「これからたくさん学べるんだ」と思うときだ。その興奮状態がずっと続くような人は、一生幸せに過ごせるのである。


 幸せとか不幸とかって、積分じゃなくて微分だと思うんですよね。つまり、その時点の速度じゃなくて、加速度じゃないかと。だから、学び続けているってのは幸福だと思う。

P103
(略)老後になっても一生懸命学び続けていく勤勉で真面目な人生を、もう一度原点に返って考えてみてはどうだろうか。かつてはそういう幸せな「学ぶ人生」を、多くの人がごく当たり前のこととして暮らしていたのである。その原型として、リーダー自身が、学問を軸にすえて生きるという人生観を大切にしていた。


 いやぁ、うちの祖父はそうでした。老境に達してもパソコンとか購入してBASICのプログラミングなんか勉強し始めて若い人より良くできていたもんね。面倒くさがらずに良く体を動かたり、驚くほど遠くまで歩いていた。本当に輝いていました。

P104
(略)エネルギーの摂取が増大するのと反比例するかのように、体を動かしてやらなければいけないことが少なくなったために、エネルギーが次第に滞留していくことになる。その中で生きる実感をつかむためには、やはり学ぶことを中心に置くのがいいと私は思う。なぜなら、学ぶことは膨大なエネルギーを吸収してくれるからだ。


 学ぶってのは合理的な生き方なんだね!上記引用はほとんどすべて福沢諭吉をとりあげた章からの引用となった。そこだけでも読む価値あり。

 齋藤孝の素晴らしさを感じる一冊でもあった。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

mixiからきました。
素晴らしいですね。
      公務員FP
Tokyo/Japan
Profile

Kitty

Author:Kitty
born in 1974
Medical Officer (MD)
Working for Japan

My Tweets
Calender
Amazon Wish List
Link
Flag Counters
    free counters
ClstrMaps
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。